ルールを守るのは正しいの?
ルールは何のためにあるの?
ルールを守らない人もいるよね。
子供たちにこんな質問をされたら、あなたならどう答えますか?
わたし自身、時代や環境の影響が大きいのか
次のような固定概念がこびりついています。
- ルールは守るもの
- ルールは守って当たり前
だけど、アラフォーになった今、その固定概念が自分の人生の幅を狭めているということに気づいたのです。
子供たちには「正解がない現実がたくさんある」ということを考えてもらいたいと思いました。
今回の記事は、私が子供たちと実際に話した内容を書いています。
ルールと自由の関係
今の私ならこう伝えます。
ルールを守ることは大切なことだし、間違っていない。
けれども。
ルールを守る分だけ自由が奪われていくかもしれないよ。
ルールと自由を合計して100%だとするとね。
ルール?% + 自由?% = 100%
ルールを100%って考えちゃったら
自由が0%になっちゃうの
ルール100% + 自由0% = 100%
自由が全くないのは苦しいね。
ルールを80%としたらどうかな?
ルール80% + 自由20% = 100%
20%分の自由が手に入るよ
ルールを守ることは大切だよね。
けれど、心の持ち方として、少しの余白を残しておくと、そこに自由が生まれてくるね。
ルールを守ろうと思う気持ちが大きくなればなるほど自由が奪われていくかもしれないね。
固定概念を捨てよ
コロナ感染拡大で飲食店の時短営業を要請している中、厚労省老健局の職員23人が東京・銀座で深夜まで宴会を開き、その後コロナに感染したというニュースがありました。
2019年には、ニュースで大きくとりあげられた神戸市立東須磨小学校の教師同士のいじめ問題(目に激辛カレー等)。
本来、いじめをやめさせる立場の人がいじめをしている。
加害者の先生もきっと生徒たちには『いじめは悪いもの』と指導していたはずです。
わたし自身、社会人になって身をもって体験しています。
ルールを作る側の上層部がルールを守らずに平社員はくそマジメにルールを守っている。
子供のころは、わたしが机に座っていると、母に怒られました。
「お母さんはいつも机に座っているでしょう?」
このように反論すると激怒されたことを今でも覚えています(笑)
- 日本という大きな組織
- 学校という組織
- 会社という組織
- 家庭という組織
組織の大小に関わらず起きているのではないでしょうか?
ルールを作る側の人がルールを守らない。
『どうしてルールを守らない?』
ルールを守る側の人はこれを理解できません。
そして、わたしも理解できない人のひとり。
子供の時からこんな固定概念にとらわれているからです。
- ルールは守って当たり前
- ルールを守らない人は悪い
まるで軍人のような思考に我ながらうんざりします…。
ルールをつくる人
- 全体の統一を考えている
- 自分自身がルール守るという前提ではない
ルールをつくらない人
- 自分の立場で考えている
- 決められたルールは守らないとダメという意識が強い
運動会の徒競走「ゴールがなかったら」
そもそも、ルールとは何のためにあるのか?
私が身をもって体験している中で出している1つの答えがあります。
ルールとは、全体の流れを大まかに指し示すもの。
どういうことか説明しますね。
例えば小学校の運動会。
徒競走は皆さん経験ありますよね。
スタートがあってゴールがある。
途中で道にそれる人もいるけれど、どんな子でも何となくゴールに向かっている。
そのゴールを言い換えるとルールなのかなと思います。
まっすぐの道を全くそれることなく走らなければならないということはなくて。
ちょっとぐらい曲がってもいいから、ゴールには向かってね、みたいな。
もしもゴールがどこなのか決められていなかったら、子供たちは好きなところへ走って行って、もはや徒競走どころではありませんよね。
理解する~賛成・納得・共感しなくてOK~
つまり、何が言いたいかって言うと。
ルールというものは、組織をまとめるために作られたもの。
方向性さえ分かっていれば、100%忠実に守る必要はないということですね。
う~ん、ここらへん、理解はできても納得できない。
理解はできたけど、脇道それる人とは共感できない。。
理解はできたけど、賛成はできない。
わたしと同じ考えの人も多いはず…‼
ですが、ここで大切なことはこれ。
理解する
- 納得できなくてOK
- なんとなく理解すればOK
そういう気持ちでいれば、ちょっとくらいルールを守らない人がいても「ま、いっか」と寛容になれます。
ルールを守らない人を批判してしまうと、自分の自由を奪っているということにもなります。
なぜなら批判するってことはこういう宣言をしているのと同じなのです。
私はそのルールを100%守ります!
過去も未来も
ルールと責任~宿題vsゲーム~
最後に例を挙げつつおさらいしますね。
『ルールを守ることは正しいの?』
子供にこういう質問をされたら。
私なら、子供の自由を奪わないためにこんなことを言い聞かせます。
ルールを守ることは間違ってはいない。
けれども。
ルールを守る分だけ『自由』が奪われていくかもしれないよ。
ルールを守ることは間違ってはいない、
だけどね、
ルールを守った分だけ自由が失われるってことは覚えておいてね。
ルールと自由が合わせて100だとすると、
ルールを100守ったら、自由は0でしょう?
ルールを80守ったら自由はいくつ?
20
そう、20だね。
じゃあ、守らなくてもいいってこと?
そうよ、ただし、自由の部分については、自分で責任を取ることになるんだよ。
例えば、宿題があるでしょう?!
宿題をやることでゲームをする時間がなくなっちゃうから宿題をしないで学校に行く、
そうするとどうなる?
先生に怒られる
そうだよね。
宿題がルールでゲームが自由だとすると、自由を選んだことで怒られるのは自分だよね、これが責任を負うっていうことだよ。
う~ん、どっちもいやだな~
いやだよね~
ひとつひとつの決まりごとをどうするかに正解があるわけではなくて、その時その時で考えないといけない。
難しいけどなんとなく分かるような気もする
ルールを守ることにばかり囚われていると自分が苦しくなっちゃうから、自分を守るためにも、ルールと自由について考えるのは良いことだよ。
もうちょっと付け加えたいことがありまして、
ルールを守らないという選択肢がある
これポイントですよね。
行動面ではルールを守っているけれども、
ルールを守らなくてもいいという思考はもっておく
これについてもまた記事にしていこうと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。